他人の目を気にし過ぎて自分の感性を無駄にしてしまってない?

他人のことを四六時中考えている人は少ない、自分のことで頭がいっぱいである。

ということ。

少し前の記事で「セミの殻」の話を延々としてしまいました。

要は年齢も50歳を越えてくると、脱ぎたくて仕方なかった殻や仕方なく着ていた殻。

今となってはパカッと割って直ぐに脱ぎたい殻。など沢山出てきます。笑

殻を纏ってしまっているのは、他人の目を意識しすぎているからではないのか?

と思い当たるところが多々ありました。

今思えば情報に敏感になるに連れ、セミ人間になっていったようにも思えます。

自分のことで精一杯で、周りを意識する暇さえもなかったですし、家族など近い存在のみ見ていた気がします。

それと同時にもう一つの要因で、セミの殻を纏ってしまっていたことがあります。

他人の言動、行動が気になりだすと、物事に集中できなくなってしまうことがあります。

実際には自分のことを、そんなに注目している人は、そうはいないのにもかかわらず。

自分のことで精一杯なのに、他人のことをずっと考えている暇は無い。

これが全てで、他人の目を気にし過ぎて、自分のやりたいことができないで終わる。

思えば自分以外のことに、目を向けていることで1番多いことで言えば、家族のことくらいでしょうか?

まあそのぐらいで、彼女や彼氏のことなど、今現在大切にしている人などを思うことぐらいではないでしょうか。

それでも、24時間ずっと考え続けている人は、ストーカーと呼ばれる方でも、そんなにいません。

それなのについ、他人の視線、言動に反応してしまう。

無駄ですよね。時間の。

そんなことに日々反応していると、疲れてしまうだけで、自分にとっては何の意味も無い反応です。

自分はこう思うが、周りはこんな考えだからどうしょう?

など自分の考えを他人に合わせてしまっていたら、個性すら生かせず、他人の世界感で生きることになってしまう。

全てがそんな流れでは無いにしろ、そんな迷い、雑念が見え隠れする時は小さはプライドを捨ててみては如何だろうか。

「大きな決断は自分で決める」と心に決めていても、日々の小さな判断は他人を意識してしまう。

それは、少し悲しい選択をしてしまうことにもなります。

自分でやりたいことがあっても、つい他人に意見を求めてみたり。

自分ではこうだと思っていても、他人を意識して途中で考えを曲げていたり。

結局何がしたかったのか?最初の第一歩の純真な気持ちは何処へやらな世界に。

自分の気持ちや意見を最後まで貫くこと。

周りをスルーしながら過ごすことはそんなに難しいことなのか。

他人を意識したり、助言を求めた時点でもう自分の答えは出ているのに。

じっと手を見る今日この頃でございます。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

via PressSync

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この記事を書いた人

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なみのり こうぼう

1965年大阪生まれ、大阪在住の内装工事業を1994年からはじめて今年で25年目の なみのり工房 です。

仕事で精一杯だった自分に何か刺激を求めて試行錯誤している時、本で出逢ったメンターの方のセミナーに思い切って参加。人生初セミナー体験で運命的な出会いがあり、ブログを2014年7月からはじめました。

ランニング習慣、仕事、趣味のサーフィン、ゴルフ、たまに犬など思った事を書いています。

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