人と接していて自分の外見からは想像できないこと、自分では意識していないこと。
自分が見ている自分と違うことを、ワタシを見て声を掛けてもらうことが少し増えました。
これは、SNSなどで繋がったお友達や、ブロガー仲間の人達からもちらほらと。
こちらは、顔出しをしてブログを書き出したので、今まで持っていただいていたイメージと、実際の顔のギャップなどもあると思うのですが。
幼い頃の同窓生などとの会話でも、昔は喋ったこともない友人達も外見の印象と、話すと私見と違った性格であるとよく言われる。
では、どんな目でワタシを見ていたのか?
ワタシが他人の印象と実際にお会いして会話する場合「あ、ちょっと違った」と思うポイントは、まず声です。
あの人が喋っていることを想像しても、自分の頭の中だけの印象です。
実際に声を聞いたら、「おお、知的な声だ」とか「ちょっと軽いな」など色々と感じます。
それは「相手の反応」によるもので、自分自身はこんな人間なのにと思っているのに、感じ方って面白いね。
ということで、「今日のタイトルと全く関係のない話やないかい!?」と思われるとおもいます。
そう、普段は感じていても、なかなか人に話すことはできないシャイなワタシです。
自分が話すように文章を書き続けているうちに、書けるようになりました。
ブログを読んでくださる方は、勝手にワタシという人物像を作り上げてくださったり、「実はこんな人間ではないのですよ」という人間を演じてみたり。
そこには実際に話したことのない人とのやり取りが生じます。
その時にワタシが「外見と声」で見てしまうように、ブログでは文章が言葉となります。
この響きは大きなポイントのように思えます。
書いている内容も関心を持たれるか否かに大きく左右されるとも思います。
ダラダラと書いてしまいましたが、ブログを書く、文章を綴るというのは、読み書きという会話の楽しみを与えてくれます。
ブログを始めた頃は「こんなこと書いてもおもろないな」「きっと誰も読んでくれないよね」
と思いながら、書いておりました。
しかし、そんな他愛の無い話しでも、書き続けていると自分は楽しくなってきます。
独りよがりな内容でも、自分の今の心境や移り変わりを書いていくのも、アウトプットの面白い一つだと思っています。
そんなこんなで、いつの間にか3年以上細々と書いてしまっている、今日この頃です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
via PressSync