今年ももう10日も無くなってしまいました。バタバタと忙しい日々が続いていると思います。
去年の今日、12月23日の天皇誕生日の祝日に父親が亡くなりました。
思い起こせば早い1年だったと思います。
そんな年末の行事をこなし、新年を迎えようとしていた家族に突然起こった不幸について、1年経ったのでその時の心境など気付いたこと書いています。
去年の年末に父親が亡くなった
年末の忙しい時期に縁起でもないお話ですが、年末の弔辞事は非常に疲弊し、パワーがいる出来事だったので書き留めておこうと思いパワーがいる点をいくつかまとめてみました。
- 突然の入院
- 容態の急変
- 早朝の臨終から遺体の搬出
- お通夜告別式の段取り
- 身内、知り合いの方への告知
- 火葬から初七日
と、何の覚悟も用意もしていない状態で訪れた3日間が上記の内容で執り行なわれました。
突然の入院
元々、10年前くらいから肝臓が肝硬変に近い状態と前立腺がんが5年ほど前に見つかっていた。
一人暮らしをしてい父は週4回デイサービスへ行っていた。そして週2回介護サービスからヘルパーさんが訪問介護にやって来てくれていた。そして週2回通院していた。(介護保険の等級に依ってデイサービスの回数は違う「介護保険」の基礎知識 [5] : 知るぽると)
その頃は機嫌良くデイサービスへ行って皆さんと仲良くさせていただいていた。以前は肝臓が全く機能していないに等しい状態なのに、お酒が好きなので隠れて飲酒している事を訪問介護で指摘されていた。半年以上はそんな形跡もなく順調な生活ぶりだった。
が、年末12月の半ば過ぎくらいに寝返りがうてないくらい腰が痛いと連絡があり、病院へ一緒に行くと肺に水が溜まっているとレントゲン写真を見せられ説明を受けた。CTスキャン写真も見せてもらった。
内蔵全体的に水分でふやけた状態のようだと説明された。肺炎を起こしそうな気配はないと言われその点は良かった。高齢になると肺炎での死亡率がかなり上昇するらしい。
容態の急変
何度かの入退院の経験があり、その経緯から今回の入院で規則正しい生活と食事を摂取できることで、体重も増え年明けくらいには元気に退院してくれると本人も家族もそう思っておりました。
そして、入院手続きも終わり、ワタシは毎年、正月は奥さんの実家がある九州へ年末年始帰省して過ごします。
今回もその予定で進めていて、例年は父親の事が気掛かりで少し前までは一緒に連れて行ったりしていましたが、加齢とともに本人が嫌がり始めたので、自宅で新年を迎えておりました。
そんな心構えしかしておりませんでしたが、入院2日目くらいに病院から連絡が入り始め、「お父さんの容体が急変してます。」と何度か病院へ駆けつけて話を聞くという事が続き、本人も見るたびに衰弱しているように思えるようになりました。
あっけなく日付が変わり朝方に旅経ちました。
夕方ころに「ご家族をお集め下さい。」と仕事中に連絡が入り、病院へ。
ワタシの姉にだけ連絡を入れ、それ以外の両親の親戚には知らせませんでした。
今日は祝日、明日はもうクリスマスと言う日でした。
親戚への連絡は正直最後まで悩みましたが、ワタシの少しばかりのショックと1年の疲れのピークの時期であることと、年末という事。これからの手配などがあり親族だけで告別式を執り行う事にしました。
話しが長くなりすぎてしまうので、今日はこのあたりまでにしておきます。
まとめ
入院から5日も経たないうちの急変にこちらもあたふたするしかなく、元気に入院を否定していた頃の面影も無くなり、ついに酸素吸入器までつけ始め主治医からは「今夜持つか。」と言われる次第でした。
いつも元気でいる姿が当たり前の日常、元気で過ごしてくれているという思い込みが父親の変化に気付いてやれなかった原因なのかもしれません。
ご年配の方と一緒に暮らしておられる方、別居されて暮らされている方は、万が一に備え日頃から出来るだけお顔を見る回数を増やして上げて下さい。
ワタシも週に多い時は3回以上実家へ話しに帰っていました。別居していたので食事については特に気をつけて食べ物を届けておりました。
その時はワタシも疎ましく思っていたりもしていた部分もあったと思います。今となってはもっと色々しておけばと後悔していおります。
ですが、もうその日々は帰って来てはくれませんね。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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