サーフィン行って感じたこと2【サーフィン復帰組として感じたこと書いています】

 

サーフィンに行って感じた事の続きです。

前回の記事はこちら→9/22(土) 久しぶりにサーフィンに行って感じたこと 

サーフィンをはじめて昔の自分と今の自分が変わったところ から再開です。

仲間といっしょにやってたサーフィン

 

あの頃は毎週末になるとサーフィンに行きたくなってしかたなかった。

だが、「友達がやってるから俺もやる」そんな乗りがあった気がする。

20歳前後はそんな気持ちでやっていた。と思う。

別にプロサーファーを目指していたわけでもない。別段上手かったわけでもない。

只、あの水上を滑り下りるスピード感と爽快感はドーパミンが大量に出ていたんだろうと思う。

仲間が一人、また一人抜けていってしまって、自分も仕事が忙しくなりフェードアウトしてしまった。

サーフィンと再び出会った時

 

それはもう40半ば過ぎだった。

今までも、今でもそれなりにスポーツらしき事はして来た。

草野球、ソフトボール、ゴルフ。

チームに加盟し練習、試合もしてきた。ゴルフもそれまでは毎週日曜日の午前中は練習場へ行っていた。300球近く打って帰る時もあった。

のめり込んで練習したし、良いショットが打てた日は気持ちよかった。

が、再開したサーフィンは別格だった。 ドーパミンの分泌量がケタ違いだった。

この歳でこんな思いのするものに出会うとは思ってもいなかった。

いつの間にか1年の目標まで立てていた

 

去年の目標は「今年は月に最低でも1回は海に行く」だった。

それが今年は2回に増えたのもちゃんと実行できず、月1回も行けていなかったんだろう。

自営業をしている自分にとって、仕事が忙しくなる事はありがたい話で仕事が上手くいっている状態のはずである。

が、それと裏腹に出来ていない事にストレスを感じてしまう。

年齢のせいなのだろうか、自分にとって大切な部分は気付かないうちに形成されていたと確信できた。

若いころは時間てきな自由はたくさんあった。お金がなくともそれなりに無い条件で楽しんでいたと思う。

時間が無い訳では無いが、割きにくくなってしまった今日この頃、

サーフィンは自分にとって至極の時間となっていた。

30年前と見た目は何も変わらないサーフィン、変わらない風景。

水平線を眺めてじっと波を待っている。そこには海と空しか無い。

振り返れば昔とちょっと変わった部分は、アスファルトで整備されたコインパーキングになっているくらいだ。

海の家のおばちゃんが駐車券を配っている風景も今は無い。

波の少ない日なんかは海の上でプカプカ浮きながら色んな事を考える。鼻歌歌ったりもしている。

スマートフォンを四六時中肌身離さず持ち歩き、情報が溢れ、時間に追われている。

海に入れば電話も無い着信履歴が怖い。今、津波が来たらそこで the end だろう。

そんな思いを打ち消してくれる境界が砂浜だ。

そこを通り過ぎるともう海の中。自分一人。

海に出ればもう考える事は殆ど消えている。

今、家族に凄い事が起こっていたとしても、自分は必死になって波を追いかけているだけだ。

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 まとめ

 

そんな日常とかけ離れた環境に自分を置くことが、心地良いのかもしれない。

波があり、仕事も何とかなりそうな午後は平日でも和歌山まで行くことがある。自営業の特権だ。

当然、仕事が気にならない事など本当は無いだろう。何処かで気に掛けていると思う。だが、海に入っている間は全てどこかへ飛んでいってしまっている。

そんな感覚を求めて海に通っている気がする。年間を通してそんなに海には来れていないのが現状だ。全く上手くもならない。

でも今は昔よりもずっと感覚を研ぎ澄ましてサーフィンにのめり込んでいる自分がいる気がする。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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この記事を書いた人

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なみのり こうぼう

1965年大阪生まれ、大阪在住の内装工事業を1994年からはじめて今年で25年目の なみのり工房 です。

仕事で精一杯だった自分に何か刺激を求めて試行錯誤している時、本で出逢ったメンターの方のセミナーに思い切って参加。人生初セミナー体験で運命的な出会いがあり、ブログを2014年7月からはじめました。

ランニング習慣、仕事、趣味のサーフィン、ゴルフ、たまに犬など思った事を書いています。

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