前回からの続きになりますが、年末の弔辞事は大変であったことについて書いています。
前回のエントリーはこちら。↓
早朝の臨終から遺体の搬出
12月16日に入院した。原因は以前から肝臓が悪かったのと前立腺癌があった。
そして今回は肺に少し水が溜まっているらしかった。
入院してから数日でどんどん容体が悪化し、22日には血圧も下がり、かなり心臓が弱って危ない状態に。
23日はもう病院を出たり入ったりして、ほとんど病院に詰めた状態でした。
夕方には血圧がさらに下がり、もう虫の息のようになり、目もうつろで意識なく半開きで泳いでいる状態になった。一瞬「これはまだ嫌だ」と思い大きな声で声をかけ続けた。
そうすると不思議なもので意識が戻ってきて、目も動かすようになり血圧、心拍数も正常に戻りだし、看護士さんの呼びかけにも返事できるくらいになり、「ホッと一息」
ただ呼吸がほんとうに苦しそうで見ていてかわいそうな状態でした。
一旦、自宅に戻り仮眠していると、泊まり込んでいる姉から電話が鳴った。嫌な感じがしたが、また容体が悪化しそのまま夜明け前に息を引き取りました。
悲しみも思い出にも浸る事もなく現実に突き返されて、事務的作業へ
息を引き取って、悲しみが込み上げ、感傷に浸っていると、事務局から「御遺体はどうされますか?」の声で、現実の世界へ引きずり戻され、ここからが疲弊の始まりです。
臨終してからの段取りなど何一つ用意も段取りもしていなかった我が家族は、睡眠もそこそこに病院からの問いかけに、家に連れて帰るわけにもならないので、病院と話をして、葬儀屋さんに連絡して葬儀場へ搬送してもらう事に。
その時点で葬儀もその方にという流れになってしまいました。
ごく身内のみの家族葬の形で執り行いたいと思っていましたが、結局、身内の何人かで行う葬儀なのに、それなりの葬儀になってしまいました。
ここでワタシが一番言いたいのは、入院や容体の具合によっては、出来るだけ前もって葬儀の事も頭の片隅くらいには置いておかないと、疲労ピークで悲しみの中では冷静な対応ができないという事を経験しました。
お通夜から告別式へ
ワタシ的には、病院から葬儀場へ移ったくらいから少し落ち着きを取り戻せました。
控え室でのんびりと休息も取れ、お通夜も集まった家族のみで弔問に訪れる方もいないので、身内だけで懐かしい話などをして和んでおりました。
まとめ
12月16日に入院して12月23日に亡くなり、25日の告別式までの10日間。
まさかこんなに早く別れが来るとは考えても無かったので、精神的に非常にキツかったのを覚えています。
23日の臨終、24日お通夜、25日に告別式。大変長く感じた3日間でした。
告別式が終わったからと言ってそれだけではまだ全てが終了した事にはなりません。
父親名義の物の解約や家の片付け、死亡届や年金などの役所への届け出などの処理が残っています。
特に家の片付け、物の処分には手こずりました。
捨てる勇気が湧いてこないのと、物が多いということ。これには参ってしまいました。
日頃から少しづつでも整理しておくに越したことはありません。
故人の意志や式場などは事前に確認されておくことをお勧めします。
年の暮れはそうではなかったのですが、年が明けて整理していると悲しみがまた湧いてきて「父親の死」を実感することになりました。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
これならわかる<スッキリ図解>介護保険 第2版 (2015年版)
翔泳社
売り上げランキング: 5,623
身内が亡くなったときの届出と相続手続き 108のチェックリスト付き
日本実業出版社
売り上げランキング: 5,687
永岡書店
売り上げランキング: 7,352