夏にうるさく鳴き散らすセミの声も、お盆を過ぎたことから聞かなくなる8月の終わり。
残暑厳しい日が続いても、夏の背中が見えてくるこの頃に、セミと重なる思いがあります。
セミの一生は巷では色々と囁かれていて「セミは1週間で死ぬ」
と自然に思い込むようになって、もうどれくらい経つだろう。
実は人間も自分の殻に包まって生活しているようなものではないのか?
と思ってしまう季節の変わり目に思うことがあります。
殻に閉じてしまった自分がいるのでは?と、この頃の季節になると感じること書いています。
つくづく人間もセミと同じではないか?と感じてしまう
自分のこだわりや執着した思い込みがどこかにあると、自分の殻を作ってしまい閉じ篭っているかのように思えることがある。
その殻は自分では気付かぬうちに纏ってしまい、わざわざその殻から脱皮するのに自分の拘りや執着を自然と身に纏うようなものに思えてくる。
外敵から身を守る必要もないのに、素のままの自分では演出できないかのように、殻が必要なのか。
自分では「自分らしく」「自由に生きている」ように思っていても、本当の自分は自分だけの殻に閉じ込めたまま。
と薄々感じながらスルーしてしまっていることはないでしょうか?
とは言うものの、人それぞれの殻を被ってしまい、自分では自分のことが実はわからなくなっている。
他人から見える自分と、実際の自分が一致しているのかは、実は本人にも気付かない部分があるように思えます。
何度もセミの一生を繰り返して生きているようなもの
人間はセミほど一生をかけて殻にくるまり、生きることはないので、それに似たことを日常繰り返し生きているのではないか?と思えることです。
時間をかけて殻の中で生きていると、気付けばセミのように殻から出るとほぼ一生が終わってしまっていることに気付く。
それは、毎日一生懸命に働き、時が流れ子育ても終われば、ふと自分を振り返る時間がある。
その時に流れてしまった時間がセミの殻にいる時間。そして鳴き始めると必死で次の世代に向けて活動するセミ。
自分を押し殺して、家族のために働き、時が流れてしまった。
少し振り返れる余裕ができた時、自分らしく過ごせてこれたかどうかと記憶を遡る。
しっかりと殻の中で過ごせたセミだけが、地中から登ってこれるのかもしれないのか?と、ふと考えてみたり。
そんな殻に包まった時間の使い方をしている生活は、セミの一生を辛いと感じてしまうのと、変わりないほど哀しいように思える夏の終わりです。
まとめ
で、何が言いたいかと申しますと、長い時間をかけ、夢を膨らまして生きているつもり。
でも、実は殻からの中では成就せず、その殻を突き破った後にパラダイスが待っている。
それを気付かせてもらうキッカケやチャンスは自分自身で作るのか、人から影響を受けて導いてもらうのか?
自分で殻を被っていることに気付かせてもらうには、他人の力も必要で、刺激をもらうこと、もらっていることを気付かされます。
そんな指摘をもらえる環境にいることの喜びもまた、本当の自分を早期発見できる時間を、無駄に使うこともなく、自分にとってありがたい環境ではないでしょうか。
メスを呼び寄せるためにセミは鳴くらしい。
1週間から10日の命。その間に子孫を残すために必死に最後の力を振り絞ります。
人間はそうではなく、子供を授かり孫の顔まで見てもまだ生きていられます。
そんなに生き急ぐ必要もなく、ちょっと先を見ながら、「しっかり今を生きる時間」を思う今日この頃です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
via PressSync