9月も終わり10月になった。まだちょっと暑い日が続いている。
9月最後の28日、日曜日にホームの和歌山磯ノ浦へ波乗りに行ってきた。夜から夜間仕事突入だったので、躊躇したが台風のうねりに期待して行ってみた。
行ってみてまた記事が書きたくなったので紹介します。
9/20 (土)しつこく伊良湖に行った時の記事の続きです。これで取り敢えず、完結です。
波乗りテーマ→9/20(土)久しぶりにサーフィン行ってきて感じたこと サーフィンに行って感じた2
今と昔でサーフィンが変わっていたところ
● 今と昔で違うこと1
何と言ってもライブカメラも普及したことだろう。
設置箇所も増えリアルタイムで波の有無、良し悪しが確認できる事。これは昔と比べて最も嬉しい進化だと思っている。
30年前は電話で波情報を聞いていた。DJマーキー谷口さんがやってたと思う。近畿周辺の波情報。四国、伊勢、日本海。
だが、電話では波出る予想でも、行ったら無かった。ってことも何度かあって、愕然として帰ってきたこともあった。
上のアイキャッチ画像は9/28(日)和歌山磯ノ浦に到着した時のものです。
上の写真は出発前にチェックしたライブカメラの映像。混み具合、波の具合が確認できる。
この時同時にチェックした映像が、上から伊勢、湘南付近の2枚です。
台風17号のうねりが入っていて、東向きの海岸の伊勢、湘南は荒れてます。
西向きのホーム磯ノ浦はこの日も夕方、波が上がるかと期待していったがそんなに上がらなかった。
早朝、起床後すぐにライブカメラ見て波チェック、そしてどちら方面へ行くか確認出来るのもうれしい。
これはi92surf.comというサイト。有料ですが確認できます→波通i92surf.com
入会して月額¥600くらい掛かりますがチェックしています。
昔の4,5時間掛けてガソリン炊いて、高速料金払って到着して「波が無かった!」なんて思いするくらいなら安い投資かもしれません。
防犯、犯罪捜査だけでなく頼もしい存在です。
高速道路がまだ開通されていなかった
● 昔と今の違うこと 2
次に上げるのは交通アクセスだろう。今のように高速道路がまだ整備されていなかった。日本海、太平洋側のどちらへ行くにしても一般道を走って行っていた。
ホームの和歌山に行くにしても阪神高速湾岸線も阪和道も無かった。
一般道の国道26号線も第二阪和国道も途中までだった。そこからは旧国道だ。海水浴シーズンは凄い渋滞の列。
伊勢にもよく通ったが伊勢道がまだ全線開通していなかった。多分、久居くらいまでだったと思う。
西名阪を通り名阪国道、伊勢自動車道の途中で降りそこから一般道でタラタラ走りながら行ったものだ。
名阪国道の伊賀上野で降り、青山高原を超えてよく行っていた。高速代を掛けず全部下道コース。
日本海のもよく通ったがこちらも舞鶴道なんて開通していなかった。いつも中国道、西宮北口で降り、176号線で一生懸命運転しながら通った事を思い出す。
まあ、お金が無かったのと出来るだけ行く回数を増やしたかったので意図的に一般道を選択していたのもあるが、時間がかかってしまうのと運転手の疲労が半端無かった、交代で運転したが睡魔との闘いだった。
昔は夜中に食事する場所が無かった
● 今と昔で違うこと 3
次に変わったところはコンビニの登場だ。サーフィンに出掛けるところはまず田舎町だ。大阪市内でもまだローソンくらいしかなかった。
今ではサーフポイントの地元のコンビニではサーフグッズも扱っている店もある。
ファーストフード店もマクドナルド、ケンタッキーにミスタードーナツくらいなものだったし、牛丼店も吉野家だけだった。
ラーメン店も今ほどこだわりの店は無い時代だった。だから中華料理屋さん的なラーメン屋さんの方が地方には多かった。当然、夜中は閉まっている。
一般道を走る我々はサービスエリアをあまり利用しない。郊外へ出るとほとんど食事を摂る場所が無かった。だから大阪市内のローソンでおにぎりを仕入れて朝に食べる。
もしくは24時間営業している弁当屋で弁当仕入れて次の日の昼くらいに食べていた。その頃のコンビニ弁当は今ほどん充実していなかった。
あまり買い込んで行かなかった日なんかは、海から上がると食べるものが無く、サーフポイント近くの地元スーパーへ行って食べ物物色してりしても惣菜くらいしか無く、コロッケや竹輪、漬物などで空腹を凌いでいた時もあった。
「冬のコンビニおでん」なんてありがたい食べ物の登場なんて想像もできなかった。
道具が進化してしていたこと
● 今と昔で違うこと 4
そしてその助っ人さんが持っていたマイバットを借りて打った時、引っ込めたバットにボールが当たった感触が、我がチームのバットとは全く違っていたのを覚えている。
そのあと良い当りのヒットが何本か打てた。試合の途中でそのバットのお値段が¥38,000もするらしい事が発覚し、打ったあとに皆がバットを放り投げられずにそっと置いてから1塁ベースへ走ったものだった。
うちのチームの部費で買ったバットが全部合わせてもその値段にはならなかったから面白かった。
ゴルフのクラブもそんな気がした事がある。僕が持っていた貰い物のドライバーよりもシングルさんに借りて打ってみたドライバーが「これがヘタクソな同じ人間が打った球筋か!?」と思うほど違っていた。即、買いに走った。中古でしたが。(笑)
ソフトボールやゴルフの道具の話ではなくて、波乗り道具の話である。
昔とは道具が進化していた。特にウエットスーツは真冬でも保温性が保たれている。2013年 【Branche】【ウェットスーツ】【フルスーツ】 ALL5mm グレー L
1月、2月の真冬の日本海でも十分に入れるレベルになっていた。
ウエットスーツを脱いで着替えるときが一番寒い思いをする。それも今は良いグッズが販売されている。パイル地のポンチョだ。FRUITION フリューション チロリアン お着替えポンチョ ポンチョ タオル サーフィン マリンスポーツ
寒さも防げて身体も拭き取れる優れものだ。
昔は真冬は海に行っていなかった。日本海なんて考えもしなかった。でも今は波情報見て波があれば行きたい気持ちでムズムズしてくる。
でもやはり一番進化したのはサーフボードだろう。ショートボード6’3 クリアセット●サーフボード◆SCELL サーフィン 初心者7点SET ステップアップモデル
価格は30年前とそんなに高価になったとは思わない。
大きく変わったと思うのはサーフボードのフィン(昔はスケッグと呼んでいた)が取外し式になっている事だ。
ボードにボックスが埋め込んであり、フィンを差し込みイモねじを六角レンチで締める。
フィンの数も5枚させる様になっている。トライフィン3枚が最もポピュラーなんでしょうけどね。
ボードと足を繋いでおくコードが昔はパワーコードと呼んでいたのが、リーシュコードと呼び方が変わっていた。
一見昔と変わっていないように見えるサーフボードだが、素材、形状は進化している。ボトム(裏面フィンのついている側)にコンケープと言う溝が切ってあってスピードが出易く設計しているもの等も色々ある。
まとめ
変わった事、変わらない事。多分、どちらも同じくらいあるのだろう。
印象的で余り意識していなかった事だが、ほとんどのサーファーが真っ黒なウエットスーツを着ている。と言う事と、ロングボードの方が増えたと言う事。
30年前は派手なウエットスーツをみんな着ていたし、ロングボードなんて見た事無かった。
今はロングボーダーが一番沖で波待ちしている。おそらくロングボーダーの方がショートボーダーより多いように思う。
ロングの方達が沖で波待ちの間談笑されているのを見ていると、マッタリとした空気が漂い、なんかいい雰囲気なのである。
そんな波乗りが自分は好きだ。出来る限り続けて行こうと思っている。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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