タスク管理をしていても、どうしても時間をムダに使っている時があります。
ハッと時計を見ると時間が進みすぎていて「またやってしもた!」となってしまうことは無いでしょうか?
お金に金銭感覚という言葉があるように、同じように時間感覚の良し悪しの感覚というのは人はどれくらい自覚しているのだろうか?鮮明な意識で見ているのだろうか?そんな疑問書いてみました。
タスク管理しているのになぜ時間をムダに使うの?
そこなんです。なぜかムダに過ごしてしまうことがあります。
ワタシはiPhoneアプリの「たすくま」さんを使ってタスク管理をして時間をムダに使ってしまった時にふと頭をよぎった言葉が、ワタシは「時間感覚がない人間」なのか?
でした。
せっかく「たすくま」さんで追い回して時間通りタスクが完了したとしても、ちょっとした心の隙から、ボーっとしてしまったり、ムダにSNSを閲覧してしまったら、今日一日の努力が水の泡に終わります。
お金というのは余裕ができたら貯蓄出来ます。それに引き換え時間というのは蓄えることが出来ません。
ここのお金と時間と言う資源を比較して考えたときに、時間については人は甘い認識があるのだと言うことがわかりました。(ワタシだけかもわかりませんが)
お金は無くなり始めると恐怖を感じる時があります。では時間に対しては?
お金にを投資すると増えて帰ってくる事はあっても、時間を投資しても時間が増えるというリターンは無いです。
お金はあると気持に余裕が生まれそうですが、時間があると「暇?」と感じてしまう事もあれば、「自由時間に満ちている!」と思う事もあり、心の余裕と連動していそうです。
では時間が無くなるときとはどんな時に感じますか?
ワタシは時間がないと感じる時は次の予定が詰まっている時に一番感じます。
午前中の打合せの時間が伸びてしまって、ランチの時間がない!とか。
ランチを食べるお金はあるのに・・・
結果、「しかたない、一食抜くか」的な考えで時間のやりくりをしてしまったり。
逆も然り、時間はあるのにお金がない!これは選択肢が狭まるのと、ちょっと寂しくなり困ってしまいます。
金銭感覚と時間感覚を感覚的に考えると
お金は実はそんなに意識していないように思います。
預金通帳を夜寝る時まで肌身離さずいる人は少ないと思います。
会社勤めであれば今月も来月も給料の金額は残業の差ほどしか変化がないと思います。
支出はこまめにチェックはされるかとは思います。では時間はどうでしょう?
時間はずっとそばにあるものと思っています。
空気のように何処にいても流れています。
意識しなければ全く何の害もなく、途切れることなく刻み続けています。
なので本来はお金よりも時間の存在に敏感で無ければいけないのでは?と最近思い始めています。
空気のような存在と時間を考えた時、お金なら使いすぎたり、損をしたりする時があったりと、警告に敏感になれます。
時間はというと空気のように流れていってしまうので、過ぎ去った後の後悔しかないわけです。
そう考えると自分は過去にどれくらい時間をムダに過ごしてきたのだろう?と感慨に耽てしまいました。
まとめ
で、何が言いたかったと申しますと、お金か?時間か?ということよりも時間も有限であり、無駄に使うと泣きを見るよということでしょうか。
そしてそんなことに拘らず、ボーッとする時間も作らないタスク管理できる「アンドロイド」になりたいということ。やはりそこが一番言いたかったことです。
仮に83歳くらい生きれたとしましょう。日数に直すと30,000日ほどです。
ワタシ的にはたった3万日か。という感覚です。
車で3万キロ走るのによく車を利用する人であれば、3年ほどで達成します。
お金の3万円を使うのもそんなに高価な物は買えませんし、時間も掛かりません。
生まれて直ぐから毎日1円ずつ貯金したとして、3万日目で3万円貯まるという時の流れです。
お金も目的にあった使い方をしない限り、金銭感覚が失われるように時間も目的が無いと、あるようで無いという迷宮で過ごすうちに人生は終わってしまいそうです。
意識しなければただ流れていくだけの時間。目的という対象が生まれて初めて自分のために刻み始めるのだと改めて感じました。
そんなiPhoneの「たすくま」さんを眺めながら思う夜です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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