「ハッタリをかます」こんな言葉を、昔々に使っていた自分をある本を読んでいて思い出しました。
「ハッタリ」はよく「嘘」「ハッタリ」とセットで使用されているように感じていましたが、「ハッタリ」を連呼していた時代の自分は何か行動的であったような無かったような。
本のタイトルからは意外であった「ハッタリ」という言葉が出てきて、「なんでハッタリ?」と思いながらもその力ある言葉について書いています。
ハッタリのない人生はつまらない
なるほど。
最近は「ハッタリ、ハッタリ」と軽い調子で話す事も死語に近いほど、ワタシにとって無くなりつつある言葉でした。
「ハッタリ」という言葉はいつどのように使われています?
ワタシはそう言えば同じような言葉で「見栄っぱり」のような感じで捉えてしまうこともありました。
ですが、「見栄を張る」とはバックグランドが随分と違うなと思う節があります。
「見栄」と「ハッタリ」には自分を誇大する、誇示することで同じように考えがちですが、「ハッタリ」にはそれ以上のパワーを感じます。
見栄とハッタリではそのパワーの放出する方向が違います。正反対の方向だと思います。
見栄は自分を隠し逆の行動をとっている時に、見栄っ張りが出る気がします。
ハッタリは自分が吐いてしまった言葉の裏付を必死に追いかけて、現実にしてしまうという事が含まれます。
これはある意味すごくパワーに満ちた行動ができる人になれるように思います。
人間の可能性を広げると言っても過言ではないような気がします。
若い人間ほどハッタリで生きることが大切
この読んだ本のタイトルは、「答えが見つかるまで考え抜く技術」という本なのであります。
なのに「ハッタリ?」と、一瞬出てきたときは拍子抜けしそうになりました。
それは多分、ワタシが加齢のせいで「ハッタリ」と縁が遠くなってしまったからのようです。
20代なんて「8割がハッタリじゃん?」のような年齢層のように思います。
もう50を超えたワタシが8割ハッタリでは、ただの怪しいオヤジになりますが。
人間を成長させる可能性が秘めているといえばそうかもしれません。
まとめ
本書でこのハッタリが出てくる章は「常識を踏み越えていく人間になろう」です。
ハッタリは自分の夢や努力目標と深く関わる、ある意味で宣誓のようなものとあります。
ハッタリを発した瞬間から、心の奥底から湧き上がるマグマのようなエネルギーが生きる原動力になれば、行動力も備わるように思えます。
ワタシも1割くらいはハッタリを忘れずに、いや2割くらいに増やしてもいいほど、エネルギーが枯れない50代の行動を心がけたいところです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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