2018年10月13日(土)11:42。
13年間一緒に暮らした愛犬が、この世を去ってしまいました。
今まで勝手な飼い主に対して、癒し続けてくれた存在であった事を、思い知らされてます。
今はまだ悲しみの中なのですが、そんな犬との別れがこんなに辛いのかという、心境を書いてみました。
大きな手術を2回経験している
そう、我が愛犬は2度の大きな手術を経験しています。
1度目は子宮蓄膿症という、放っておけば1週間程で死んでしまう病気でした。
約3年ほど前の年末の事でした。
そして2度目は乳腺腫瘍でした。
言わば乳ガンですね。
悪性と診断されてしまいました。
飼い主の気持ちはハラハラドキドキで、犬本人も初めての単独での入院で、不安な夜を過ごしたことでしょう。
しかし、2度とも無事生還してくれました。
実に嬉しく、ドクターに感謝の日々でした。
今年の7月の検査で癌の転移が見つかる
そして、定期的に検診を受けていました。
今年の夏頃から、えづくような咳込みをしだしたのです。
そこでレントゲンを撮ってもらったら、肺に影がある事が見つかりました。
医師から余命を告げられた日。
今年の夏は暑かったので、膵臓の数値が上がり熱中症気味であることも、血液検査の結果わかりました。
血液検査とレントゲンの結果、医師から乳腺腫瘍のガンの転移でほぼ間違いないとのことでした。
ドクターの経験で、悪性の乳腺腫瘍を除去してから、肺に転移した子は、大体が半年の命だと告げられました。
余命あるうちに一緒の時間で出来る事を考える
その夏の真っ盛りの告知から、犬への考え方、付き合い方を真剣に考えるようになっていきました。
犬への日記を毎日書くようになったり、もしもの時のブログを下書きしてみたり。
そういう事をしていると、毎日1日が無事過ぎて行く事にホッとして、真夜中でも書いていました。
が、8月も終わる頃に咳込んで、何かを口から吐き出したがるそぶりをしてから、痙攣のような症状でふらつき、倒れてしまう事がたまに起こり出しました。
毎日の生活の元気な姿からまだまだ生きてくれるという錯覚
その痙攣でパタッと倒れてしまう事が恐ろしくて、病院へ行きました。
そこでまた、レントゲン撮影をすると、肺の白い範囲が少し広がっていました。
そして、心臓の鼓動も正常ではなく、心臓弁膜症か心臓喘息の可能性があることもわかりました。
余命半年と言っても、いつからの半年であるかはわかりません。
今年は越せると言う飼い主の希望的観測がありました。
「いつもと変わらず元気だ」と思いたい飼い主の気持ちとは裏腹に、病魔は近づいて来ていたということです。
その時は突然やって来た。
最近になって、呼吸が荒く、早くなってきていました。
そうなってくると、半年という宣告が現実味を帯びてきます。
そして、10月9日の朝方に大きくえづいてから、また痙攣を起こしました。
ヒーヒーと苦しそうに叫んでいました。
これは初めてでした。
それから毎日1回は起こるようになり、起こると体力が消耗するのか、食欲も無くなってきました。
グッタリと横たわっている時間が多くなりました。
留守にして帰宅すると、ひょっとすると・・などと想像してみたり。
そんな時は元気に近づいてくれたりします。
ただ、それが怖くて病院へ行きました。
血液検査の結果は、どの数値も普通で、高いものもそれほど悪くない値でした。
心臓の薬も新しいものに変えて、チャレンジして行きましょうとのことでした。
発作も収まり、心臓の症状も薬で抑えれる希望が出て来きて、あと少し元気に暮らせる気持ちになり、喜びながら病院を出ました。
その帰りの車の中で、衝撃が走りました。
帰り道の途中の、助手席で痙攣が起こりました。
今までに無い、硬直の仕方で目も一点を見たままで、遂には呼吸困難で、心臓の鼓動も止まっています。
パニックになり、直ぐ車を停めて、抱きかかえながら、名前を呼びながら摩っても反応がありません。
いつもならここで、我に返ってくれるのに、固まったままでした。
そして抱きかかえたまま、病院へ逆戻りです。
病院へ着く間際に、身体からチカラが抜けました。
到着と共に、直ぐに看護師さんと先生で心臓マッサージをしてくれました。
が、還っては来てくれませんでした。
後悔と自責の念とペットロスの衝撃・・
車を停めて病院へ入るとまだ処置は続いていました。
でも、もう無理だと思い、相方を呼び小さな棺を用意してもらい、御礼とこれまでの感謝を述べて、病院をあとにしました。
病院を嫌がる犬だったので、前日の弱り方からみて、行かない方が良かったのかもしれません。
心臓マッサージと人工呼吸をしてもらったら、肺に水がかなり溜まっていたようです。
早くそれを取り除く方法は無かったのだろうか?
とか、タラレバばかり考えています。
まさか、病院からの帰り道が最後になるとは、思ってもいませんでした。
もっと慎重にデリケートな対応をしなければならない状況だったようです。
そんな呆気ないお別れでした。
最近では経験が無いほどの、涙が出てしまいました。
まとめ
昨日、無事火葬まで行う事ができました。
少しタイミングがズレていたら、色々と大変だったと思います。
そのタイミングを合わせてくれたのでしょうか。
と、今なら思えます。
生き物と暮らすことは、最後まで一緒でその死まで見届けなければならないことを、思い知りました。
たかが犬の死。小動物の死。
と思われるかもしれません。
ワタシもその1人だったかもしれない。
しかし、されど小動物の死、犬の死でもあります。
その小動物に13年間どれだけ癒されて来たか。
どれほどに穏やかな時間をくれたか。
を、今切実に感じています。
最後に
13歳。
人間でいうと68歳らしい。
ちょっと早いか。
最後に思うのは、この飼い主で良かったのだろうか?
君は幸せに暮らしていたのだろうか?
辛いです。
寂しいです。
戻れるものなら戻りたいという気持ちと、お疲れ様、ゆっくり楽しんで。
という気持ちと。
ペットロスと共に、問答する日々が続きます。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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